2007年 12月 31日
年の瀬に考えたこと |
日本海の荒波を越えてなんとか無事に実家に到着、のんびりとした大晦日を迎えております。ブログも昨日から(突然)再開しましたが、放置していのは仕事が忙しかった、というのが最大の理由。自分のための備忘録もかねて12月の出来事を書き留めておきます。
ブログも12月初旬はなんとか携帯で一言でもアップするとか頑張っていたのですが、
それ以降はそれさえする余裕もなかった。もちろん時間的余裕じゃなくて、心理的な余裕なんだけど、仕事に完全に追いつめられていた。
寝ている時間以外はすべて仕事という状況が役2ヶ月、最後は発狂しそうになった。土日に出勤していたので曜日感覚もなくなり、家族も放置していた。本当はダメなんだけど持ち帰りの残業も毎日だった。
忙しいのは仕方がないと思っていたが、それ以上に辛かったのが周囲から目、なんでそんなに毎日残業しているの?見通しが甘いんじゃない?という冷たい目線、ただ決して手伝いましょうかとは申し出ないものな。いつものことながら「ひとりでプロジェクト」へ突入という状況でした。
ただ詳しくは書けないが、システムの保守で大規模な改修が必要な状況が出てくることが解っていた、それを半年前から訴え続けていた。だから時間をくださいと訴え続けていた。
しかし管理者、しいては経営陣も俺の意見をスルーしつづけた。目の前の仕事をこなせ、新規の案件に参加しろ、目先の仕事にアサインされ続けて時間を失った。ことある機会に「焦っているのは俺だけですか?」と言い続けた。ただ半年後の案件なんてどうでもいいと放置されていた。経営陣のスルーの罪は問われず、担当レベルで責任を問われる、俺が情報を上へ出さず、意見具申を怠ったというなら罪を問われてもしかたがないが、やることやっているという自負があるだけにこの仕打ちは辛かったな、本当に出社拒否してやろうかと思った。
しかも経営陣が土壇場になって「どうするんだ?』と俺に逆に問いつめてきた。いやこっちがその台詞を吐きたいところだった。それからはすべて俺が悪者、この事態を予見できなかった馬鹿者という扱いをされた、むちゃくちゃ寂しい気分になった。もちろん自分の政治力のなさを感じたというのもありますが、和久さんの「悔しかったら偉くなれ」という台詞が何度も脳内でリフレインしていた。
唯一の救いは前任者が救いの手を差し伸べてくれたこと、見るに見かねて助けてくれたのだ。俺が解らない当時の設計思想とか、いろんな技を繰り出してなんとか最後に格好をつけさせてくれたことですね、本当に泣きたいくらい嬉しかった。今回の収穫は本当にこれだけだと感じる。
奇しくもこの一件で当社のスタンスとか、俺が担当する事業にかんする扱いが見えてしまった。正直に言うと「これ以上継続しても、私に何のリターンもない」ということ。いままで仕事ということが一番のプライオリティだと考えていた、ただもうどうでもいいやと感じている。適当に生きていく、食っていく金を稼げるのだったらこの会社に拘る必要ないと思った。
本当に考えさせられた年の瀬、とりあえず今は実家で骨休め、激動の2007年もあと僅か、さあ来年は俺の人生をどうドライブしていくか真剣に考えて行動していく、実践する年にしたいと思います。
ブログも12月初旬はなんとか携帯で一言でもアップするとか頑張っていたのですが、
それ以降はそれさえする余裕もなかった。もちろん時間的余裕じゃなくて、心理的な余裕なんだけど、仕事に完全に追いつめられていた。
寝ている時間以外はすべて仕事という状況が役2ヶ月、最後は発狂しそうになった。土日に出勤していたので曜日感覚もなくなり、家族も放置していた。本当はダメなんだけど持ち帰りの残業も毎日だった。
忙しいのは仕方がないと思っていたが、それ以上に辛かったのが周囲から目、なんでそんなに毎日残業しているの?見通しが甘いんじゃない?という冷たい目線、ただ決して手伝いましょうかとは申し出ないものな。いつものことながら「ひとりでプロジェクト」へ突入という状況でした。
ただ詳しくは書けないが、システムの保守で大規模な改修が必要な状況が出てくることが解っていた、それを半年前から訴え続けていた。だから時間をくださいと訴え続けていた。
しかし管理者、しいては経営陣も俺の意見をスルーしつづけた。目の前の仕事をこなせ、新規の案件に参加しろ、目先の仕事にアサインされ続けて時間を失った。ことある機会に「焦っているのは俺だけですか?」と言い続けた。ただ半年後の案件なんてどうでもいいと放置されていた。経営陣のスルーの罪は問われず、担当レベルで責任を問われる、俺が情報を上へ出さず、意見具申を怠ったというなら罪を問われてもしかたがないが、やることやっているという自負があるだけにこの仕打ちは辛かったな、本当に出社拒否してやろうかと思った。
しかも経営陣が土壇場になって「どうするんだ?』と俺に逆に問いつめてきた。いやこっちがその台詞を吐きたいところだった。それからはすべて俺が悪者、この事態を予見できなかった馬鹿者という扱いをされた、むちゃくちゃ寂しい気分になった。もちろん自分の政治力のなさを感じたというのもありますが、和久さんの「悔しかったら偉くなれ」という台詞が何度も脳内でリフレインしていた。
唯一の救いは前任者が救いの手を差し伸べてくれたこと、見るに見かねて助けてくれたのだ。俺が解らない当時の設計思想とか、いろんな技を繰り出してなんとか最後に格好をつけさせてくれたことですね、本当に泣きたいくらい嬉しかった。今回の収穫は本当にこれだけだと感じる。
奇しくもこの一件で当社のスタンスとか、俺が担当する事業にかんする扱いが見えてしまった。正直に言うと「これ以上継続しても、私に何のリターンもない」ということ。いままで仕事ということが一番のプライオリティだと考えていた、ただもうどうでもいいやと感じている。適当に生きていく、食っていく金を稼げるのだったらこの会社に拘る必要ないと思った。
本当に考えさせられた年の瀬、とりあえず今は実家で骨休め、激動の2007年もあと僅か、さあ来年は俺の人生をどうドライブしていくか真剣に考えて行動していく、実践する年にしたいと思います。
by akihi1971
| 2007-12-31 09:56
| ひとりごと