2005年 12月 23日
大停電の夜 |
17:30 出発
会社を出て一路新潟駅を目指す、この付近の電気は回復している模様、出社時は真っ暗だったコンビにも灯りは戻って来ている。そして新潟駅南の通称けやき通りのイルミネーションも輝いている、いやまだ電気が回復していない地区があると考えるとね・・・、しかしこれを切るスイッチもないんだろうな。
17:40 連絡
妻と連絡がつく、しかし携帯電話、自宅は電気が復旧していないとのこと。近くの実家に行っているとのこと。もっとも我が家は電気が来なければ本当に寒い、ファンヒーターも結局電気が必要ですしね。懐中電灯も電池切れだったらしい、昔の家なら仏壇があるであろうからロウソクは常備してあるのであろうが、我が家にはそれすらない。またタバコを吸う人間もいないのでマッチすらない、チャッカマンも使用できなかった、かろうじてガスは使えるかな?帰りに電池とラジオの調達をリクエストされた。
18:00 ヨドバシ
新潟駅構内のヨドバシカメラ、店頭のみで営業をしていた。売っていたものは乾電池と懐中電灯とラジオ、私も店員さんに「ラジオが欲しいのですが・・・」と告げると店内に案内された。勝って知ったる店内配置(!)そこで災害用の手巻きラジオを物色、以前から購入しようと決意していたSONY製ラジオを購入、約1万円也、しかし情報は重要からね。ネット上のHPで営業情報を流していた企業があったが、電気が来てないんです、そんなの無駄です、どこへ向けて情報を発信してているのか?ターゲットが不明です。傍観者達ではなく実際に情報が必要な(今回なら電気が止まっている)人達への伝達手段を考える必要がある。それはやはりラジオかな。俺が会計をしている後ろで MacOS Xを購入していた兄ちゃんがいたのにはビックリでしたが。
18:10 ホーム
自動改札を抜けホームへ、長岡行きの列車が接続待ちで停車していたので駆け込む。意外なほど車内はガラガラ、多くの会社が終業時間を繰り上げて帰宅させたのであろうか、電気がなければ仕事にならんか。間もなく新潟駅を発車、外を見る限り家々には灯りがともっている=電気が復旧している。しかし越後石山を過ぎた頃から、車窓から見える景色から灯りが消えていった。そして滑り込んだ亀田駅、ホームは真っ暗であった。階段も駅員さんが照らす懐中電灯だけが頼りという状況、駅舎から出たが見た事のないような真っ暗な世界が広がっていた。幸いにも目がすぐになれて歩くのに不都合はないのであるが、生きてい初めて体験するような灯りのない世界、不謹慎だがデジカメでも持っていたら写真に収めたいと考えてしまった。
18:30 帰宅
なんとかたどり着いた我が家、当然のごとく灯りがつかず真っ暗、携帯電話のディスプレイを懐中電灯かわりに家の中を進む。なんとかガスは付くようだがとにかく寒い、なんとか着替えを済ませてもう一度外へ、妻の実家へ向った。その中で見たのは凍えた家、暖房が止まっているので吹き付けた雪が溶けないままであった。電気が来なかったら今夜はどうなるんだろう?布団にくるまって、ラジオでも聞きながら寝るしかなさそうである。幸いにもガスは生きているので暖かいコーヒーくらい飲めるであろう、そんなことを考えつつ暗い住宅地を前進、するとあたりの家の中から灯りが漏れて来た!そう電気が戻って来たのだ。妻の実家にたどりついたときは、完全復旧しておりました。
19:00 その後
テレビでニュースを見る。確かに新潟でこれくらいの悪天候、荒天候は珍しく無いであろうが、電気が止まってしまうと凄い状況になるんですね。文明の利器に慣れすぎると体も付いて行かないしね、あまりに便利になりすぎるのも考えものです。これは仕事の進め方にも言えるのですが、月曜日は非常時にどうするか?なんて議論になるんだろうか。しかしそれは一年前の中越地震の時にもさんざん話したはずです、喉元過ぎればというやつなんでしょうか。やはり天災は忘れた頃にやってくるのであります。ともかく電気のありがたみさを改めて実感した一日でありました。(三連休前にこれはツラかったな・・・)
会社を出て一路新潟駅を目指す、この付近の電気は回復している模様、出社時は真っ暗だったコンビにも灯りは戻って来ている。そして新潟駅南の通称けやき通りのイルミネーションも輝いている、いやまだ電気が回復していない地区があると考えるとね・・・、しかしこれを切るスイッチもないんだろうな。
17:40 連絡
妻と連絡がつく、しかし携帯電話、自宅は電気が復旧していないとのこと。近くの実家に行っているとのこと。もっとも我が家は電気が来なければ本当に寒い、ファンヒーターも結局電気が必要ですしね。懐中電灯も電池切れだったらしい、昔の家なら仏壇があるであろうからロウソクは常備してあるのであろうが、我が家にはそれすらない。またタバコを吸う人間もいないのでマッチすらない、チャッカマンも使用できなかった、かろうじてガスは使えるかな?帰りに電池とラジオの調達をリクエストされた。
18:00 ヨドバシ
新潟駅構内のヨドバシカメラ、店頭のみで営業をしていた。売っていたものは乾電池と懐中電灯とラジオ、私も店員さんに「ラジオが欲しいのですが・・・」と告げると店内に案内された。勝って知ったる店内配置(!)そこで災害用の手巻きラジオを物色、以前から購入しようと決意していたSONY製ラジオを購入、約1万円也、しかし情報は重要からね。ネット上のHPで営業情報を流していた企業があったが、電気が来てないんです、そんなの無駄です、どこへ向けて情報を発信してているのか?ターゲットが不明です。傍観者達ではなく実際に情報が必要な(今回なら電気が止まっている)人達への伝達手段を考える必要がある。それはやはりラジオかな。俺が会計をしている後ろで MacOS Xを購入していた兄ちゃんがいたのにはビックリでしたが。
18:10 ホーム
自動改札を抜けホームへ、長岡行きの列車が接続待ちで停車していたので駆け込む。意外なほど車内はガラガラ、多くの会社が終業時間を繰り上げて帰宅させたのであろうか、電気がなければ仕事にならんか。間もなく新潟駅を発車、外を見る限り家々には灯りがともっている=電気が復旧している。しかし越後石山を過ぎた頃から、車窓から見える景色から灯りが消えていった。そして滑り込んだ亀田駅、ホームは真っ暗であった。階段も駅員さんが照らす懐中電灯だけが頼りという状況、駅舎から出たが見た事のないような真っ暗な世界が広がっていた。幸いにも目がすぐになれて歩くのに不都合はないのであるが、生きてい初めて体験するような灯りのない世界、不謹慎だがデジカメでも持っていたら写真に収めたいと考えてしまった。
18:30 帰宅
なんとかたどり着いた我が家、当然のごとく灯りがつかず真っ暗、携帯電話のディスプレイを懐中電灯かわりに家の中を進む。なんとかガスは付くようだがとにかく寒い、なんとか着替えを済ませてもう一度外へ、妻の実家へ向った。その中で見たのは凍えた家、暖房が止まっているので吹き付けた雪が溶けないままであった。電気が来なかったら今夜はどうなるんだろう?布団にくるまって、ラジオでも聞きながら寝るしかなさそうである。幸いにもガスは生きているので暖かいコーヒーくらい飲めるであろう、そんなことを考えつつ暗い住宅地を前進、するとあたりの家の中から灯りが漏れて来た!そう電気が戻って来たのだ。妻の実家にたどりついたときは、完全復旧しておりました。
19:00 その後
テレビでニュースを見る。確かに新潟でこれくらいの悪天候、荒天候は珍しく無いであろうが、電気が止まってしまうと凄い状況になるんですね。文明の利器に慣れすぎると体も付いて行かないしね、あまりに便利になりすぎるのも考えものです。これは仕事の進め方にも言えるのですが、月曜日は非常時にどうするか?なんて議論になるんだろうか。しかしそれは一年前の中越地震の時にもさんざん話したはずです、喉元過ぎればというやつなんでしょうか。やはり天災は忘れた頃にやってくるのであります。ともかく電気のありがたみさを改めて実感した一日でありました。(三連休前にこれはツラかったな・・・)
by akihi1971
| 2005-12-23 23:56
| ひとりごと